2018年9月21日(金)の夜に仕事が終わってから出発しました。
まず、最初の目的地は『道の駅 南アルプスむら長谷』
日付が変わって22日(土)の1時過ぎに到着しました。そのまま車中泊へ…。
朝、起きてから7:30くらいの『道の駅南アルプスむら長谷』の様子です。
目的の施設は近いので道の駅で情報収集です。後、パン屋さんが有るので覗いてみる事にしました。
南アルプスむら パンや
TEL 0265-98-2968
営業時間
8:00~17:30
どうやらミニクロワッサンが人気のようです…(^.^)
自分も購入してキャンカーに戻っていただきました( ´ ▽ ` )ノ
自分はあまりパンは食べない人なんですが、物凄く美味しかったです。
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さて、本日最初に向かった施設です。
駐車場も広くて大型のキャンピングカーも停めれます。
ここに来た目的は『絵島囲み屋敷』を見学する事です。
『絵島囲み屋敷』とは、江戸時代に高遠へ遠流となった大奥女中・絵島が、囚われの身として27年もの間暮らした屋敷が復元されている場所です。それが高遠歴史博物館内に有ります。
TEL:0265-94-4444
料金:一般400円、小中学生200円
営業時間:9時~17時
江戸時代の「絵島生島事件」と言う事件を知ってますか?
六代将軍の徳川家宣を生んだ月光院に仕えた女中が絵島でした。
女中と言っても出世して32歳で大年寄となり、大奥で大きな力を持つようになっていったようです。
大年寄という役は1,000人からいる女中を取り締まる年寄頭で大奥に数人しかいない役職のようです。
またこの頃の大奥は相当力は強かったようで、大奥の女中の不評をかって失脚した老中もいたようです。
その為に利権絡みの接待なんかも有って風紀の乱れも有り大奥大改革を行う中で犠牲となったのが絵島であった。
これが世にいう、「絵島生島事件」である。
[もう少しお付き合いくださいm(_ _)m]
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正徳四年(1714年)、絵島三十四歳の正月、月光院の代参として増上寺に将軍慰霊の法要の帰途、山村座で芝居見物をし、たまたま門限に遅れたことが口実となり、処罰を受けたのであった。
さらに山村座の役者・生島新五郎と懇意になったと言う疑いをかけられてしまったようです。
死罪2人、遠島追放等事件に連座し罰せられた者、医師、身許引受人、芝居関係者、商人等1,500人に数えると言われています。
そんな事件で高遠の地で死ぬまでの28年間を暮らした屋敷の復元を展示しているので、しっかり見学して来ました。
伊那市立高遠町歴史博物館内には他にも高遠城の歴史を教えくれます。
特に興味があったのが、「高遠城の戦い」武田信玄の五男の仁科盛信が武田氏が滅びる直前に織田方に徹底交戦をして一矢を報いた戦いの事です。
更に、時代が下がって江戸時代初期の城主で保科正之(三代将軍徳川家光異母弟)の資料など、歴史大好きな自分には興奮する施設でした。
【続く・・・】
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