土肥金山から移動を開始して見つけてしまったのが、『旅人岬』
重岡建治氏作による「家族」と銘されたブロンズ像があります。
左側がお父さんに右側がお母さん。そして、真ん中にいるのが子供。↓↓↓
この岬の名付け親でもある直木賞作家笹倉明先生作の「人びとの岬」(平成8年4月より西伊豆を舞台にした静岡新聞連載 朝刊小説)の一節が刻まれた文学碑があります。↓↓↓
さて、次に向かったのが本日の車中泊場所であり入浴施設もある『道の駅くるら戸田』
この道の駅の一角に無料の展示コーナーが有り覗いてみて興味を持った事がありました。
これらは何か?
簡単に説明しますと、江戸時代の寛永5年(1852年)ニコライ1世の命を受けてプチャーチンは日本と国交交渉を行う為に出発しました。寛永6年(1853年)には長崎に入港しますが、交渉は上手くいかず一旦はロシア領の沿海州に向かい、さらに函館、大阪と移動して幕府から指示された交渉場所の下田に入港します。
それから幕府側と交渉を行っている最中の11月4日、安政の大地震が東海地方を襲い、その津波によって下田港に停泊中のディアナ号は破損をしてしまいました。
修理を戸田でする事になり曳航中に強い風と波にあい最終的には沈没してしまったのです。
船を失ったプチャーチン一行はロシアに帰る為に戸田で船を作る事になりました。
ディアナ号から運び出された「スクーナー型」といわれる帆船設計図を元にロシアの技術者と近隣の村々から加わった船大工達により本格的な洋式帆船を始めて作ったのが『ヘタ号』と命名された船だと知りました。
近くに『戸田造船郷土資料博物館』があるので翌日の朝一番に行ってみる事にします。
更に併設されている施設としては西伊豆戸田温泉「壱の湯」が有ります。↓↓↓
営業時間:10:00〜21:00
入浴料:大人500円、小人250円
内湯、露天風呂あり。
他には無料の足湯があります↓↓↓
ここもゴミ箱がしっかり設置されてます。
ここでしばらくテレワークにて仕事をしていました。
仕事を終えて外に出て風呂にでも入ろうと思った時にうん⁉️⁉️⁉️
大阪ナンバーの見た事があるバンコンがいる事に気づきます…(笑)
(写真は翌朝です。)
稲垣さんだーー‼️
どうやら取材で伊豆をまわっていたようです。
全くの偶然でビックリ(´⊙ω⊙`)
と、言う事でこの日の夜は自分のキャンピングカーに招待してキャンカー飲みを行いました。
いゃーぁ、楽しかったです。
ありがとうこざいました。
深夜まで飲んでしまいましたが、翌朝はそれぞれ別々の方向に…。
お世話になりましたm(_ _)m
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